読書メモ・注釈

文学など理解用の読書メモです。

ジェサミンをめぐるアラジンの危機

会社近くのビル垣根に白い花が咲いていた。こうしてみると、真ん中が赤だ。黄色い花は自宅近くの銀杏の街路樹にはえていたもの。雑草は力強い。ほったらかしにすると、どんどんはえてくる。

でも、どうして、花には、目を引かれてしまうのであろうか。

花は自然である。考えてみれば、私も自然の一部だ。会社員とか男性とか日本人とか会社名とか色々な属性として捉えれているが。死んでしまえば、塵となり、土の一部となる。

そう言えば、火葬後に骨は、骨壷に入れてしまうのだが、入りきれない骨の欠片や、それこそ灰は、たぶん、何処かに捨てていることだと思う。それらは、全国的に何処に廃棄されているのか。疑問として残るなあ、と思った通り。

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◆ジェサミンをめぐるアラジンの危機

引続き「アラビアンナイト」(Kindle版)の3巻の2を読み続けている。

アラジンは、まもなく寝れ義ぬを着せられることになるだろう。バクダット太守の一人息子バザーが、アラジンを亡き者にしようとしている。

太守の息子バザーは奴隷市場で、ジェサミンを一目惚れした。当時は市場で人身売買されていたようだ。一方で、ジェサミンは、すでにアラジンの妻となった。バザーは、母に嫌だ、嫌だとダダをこねる。

このくだりを読みながら、フロイトラカンの解説書に書かれている「自己保存欲動と性欲動」が浮かんだ。フロイトは、すべての活動に性的なものをおいている(吉本隆明なら「対幻想」なのか)。

私はこれまでは、当然ながら知識や知見のレヴェルが低いことにより、このような考え方には否定的だったのであるが、「アラビアンナイト」をここまで読み進めながら、研究テーマの一つとなりうるのかなあ、とも思った。

◆◆ 普遍主義に対する特定主義

マイケル・ウォルツァーの『正義の領分〜多元性と平等の擁護』の「我が身を振り返って〜私の特定主義」は、7/24/19(水)に読んだのであるが、読んでいるとき、普遍主義に対する特定主義の考え方には、魅了された。

この本は、國部克彦氏の『アカウンタビリティから経営倫理』の中で、正義は1つではなく、複数であっても良いのではないか、と言う議論の中で、引き合いに出されて、興味を持った。

國部氏は、会計学者なので、財務会計のみならず、非財務などの複数評価への議論に収斂していくのであろうが。

ただし、マイケル・ウォルツァーの本は、とてもよい視点を与えてくてそうだが、本文がいまいち入りきれないテーマばかりで、上手く読みきれていない。効率的に集中して読めればなあ、とも思うのだが。