読書メモ・注釈

文学など理解用の読書メモです。

ヘーゲルの『精神現象学』の序論

ヘーゲルの『精神現象学』の序論を読んでいる。序文はわかりずらいので、序文から。否定的なものは肯定的なものを含んでいるというのは、例えば、既読スルーで否定された、という事例で捉えるとよくわかった。否定されたというのは、その否定された無には、否定されたという無の履歴が残されているということである。単なる懐疑主義は、ああ、レスがこなかった、もうダメだ、と、そこで終わってしまう。

最近のことなど

最後に更新した日が、今より300日前とあった。びっくり。

あのあと読書はしているのだが、小説系は、一月一冊のペースで読んでいる。最近で言えば、カミュの『ペスト』であるが。色々なところでメモしたり送ったので、まあまあ、面白かったということか。

今日は、土曜日であるが、終日、本のつまみ食い、拾い読みをしていた。次に読むべき本が定まらないまま、仕事の歓迎の資料を読むことに集中しても良いのかなとも思った。

千夜一夜4巻の1、読み始め 読書プロジェクト

8/11/19(日)に3巻の2を読み終え、4巻の1を読み始める。少しスピードが落ちている。

フローベールを読み終えて、私が『千夜一夜』に期待していることは、長い物語を読むと言う意志である。それは、シェーラザットの語り終えた気持ちを知ることにある。王様の心の大きな変化を知ることにある。もう一つは、物語や出来事の意味を知ることである。私はラカンやフロイトの考え方を未だ知ることが出来ない。けれども、tale、すなわち物語という形を通じて、それらを迂回した形で捉えていく事になる。

経済や経営やドーキンズや、色々な本を同時に読み続けて行くだろう。しかし、2008年の正月からはじめた読書プロジェクトを続けていく。それは物語の中でも、次にやるべき鍵を見つけることである。読書プロジェクトの第1関門である。どうして、わき道にそれてしまったか。それはもう良い。これからもそうであろう。あるいは、これをやめるため、読書プロジェクトがある。これから、この事を忘れないように、いつも反復するようにしよう。限られた命の中で、マルセルのように、あるいはフローベールのように思うのかも知れない。

しかし、私に足りないのは、例えば、『集中講義デジタル戦略〜テクノロジバトルのフレームワーク』や、『ニュータイプの時代〜新時代を生き抜く24の思考・行動様式』などの本と、文学の違いを同期化できないということである。もしかしたら、これは総合化することなんでできないことなにかも知れない。この総合化という考え方は、レヴィナスの対話『倫理と無限』から、8/12/19(日)の今日のさっき得たものだ。レヴィナスについては、先にも書いた『アカウンタビリティから経済倫理へ〜経済を越えるために』から、知った本である。レヴィナスは、これまで哲学フィールドの本からは知っていた。けれども、会計という別の視点からレヴィナスを知ることができたのは新鮮だ。職業の立場のなかから哲学へのアプローチができる。であれば、哲学とは関係のない職業という境界をもうけた私のなかの抑圧は何だったのかということになる。なぜだったのか。ただ、こうした問いかけよりも、先に進む問いかけこそが、次のステージへの橋渡しとなるのではないか。

本の抑制と新たな本 ~『ソーシャルメディアの生態系』

8/9/19(金)に書店で『ソーシャルメディアの生態系』を買った。最近、こう言う系列の本を読む機会に恵まれる。これまでの読書は、サルトル、ドゥルーズ、カント、マルクス、ドゥルーズ、ユング、金融、企業価値、資料の中で、そのミクロの世界には、そんなに理解する事なく、茫漠・漠然と憑かれるように読んできた。しかし、最近、『フロー体験 喜びの現象学』、『アカウンタビリティから経営倫理へ』などを読みながら、そうそう、上記の著述には同じく至としても、ちがったアプローチがあることを実感させられた。アカンタでは、デリダ理解への通路が開かれている。これまでの理解は業界内サークルを通じての理解だったのだ。

加えて、変な読書の領域への自己抑制があったと思う、とりわけ、小説に対する自己抑制だ。それは小説的でない職業の中で、読む物を抑制しようとした事にあるのだが。ようやく、この抑制は摩天楼の塵の中で、バランスを取り始めるようになったのであるが。

『ソーシャルメディアの生態系』は、ネットワーク時代の、人のコミュニケーションを細胞や脳にたとえるあり方が面白い、スピノザの『エチカ』やドゥルーズ・ガタリの『アンチ・オイデップス』はむづかしく、共有するのに時間がかかるが、『ソーシャルメディアの生態系』は、同じ事を言ってるような気がする。ネットワークが実現する自律性と分散は、スピノザの共通概念の考え方、とりわけジル・ドゥルーズが『スピノザ』の中で言っていることと同じであるのじゃないかな。

どの本もそうであるが、『ソーシャルメディアの生態系』も、色々な本の引用を通じて外の世界へ拡がっている。ゼダー・ヒルダコの『情報と秩序』への言及もあるからだ。

この本は書店の新刊棚に立てられてあったが、これまで、こうした種類の本は一冊も読んでいなかったように思う。文学や哲学を読まない多くの人たちは、このような本をたくさん読んで来ているのかも知れない。例えば、ドラッガーもそうであろうし、ガルブレイスや、フリードマンだってそうだろう。よほどに、哲学と文学、それと仕事や学業の経済に、どれほど毒されて(?)、自然な読書をしてきてなかったのであろう。

後悔先に立たず。しかし、こうも言える。こうした読書人生だったからこそ、今読むべき本、読書プロジェクトがレイトライフの中で浮かび上がって来たのだと。であれば、感謝をしてもよいというものである。

フロー体験と喜びの現象学者

『フロー体験と喜びの現象学』を昨日8/2/19(金)から読み始める。井筒俊彦の『コスモスとアンチコスモス』のように、今のところは読みやすい。『ドゥルーズ入門』は、『意味の論理学』を解説した箇所から意味が取りづらくなった。マズローの『完全なる経営』とかは、自己実現の超越というテーマから興味が湧いたが、途中で置いている。

基本は、『アラビアンナイト』が中心にある。仕事の読書をどう組み入れるのか。分離するのか。これが上記のフロー体験のテーマなのかも知れない。