読書メモ・注釈

文学など理解用の読書メモです。

本の抑制と新たな本 ~『ソーシャルメディアの生態系』

8/9/19(金)に書店で『ソーシャルメディアの生態系』を買った。最近、こう言う系列の本を読む機会に恵まれる。これまでの読書は、サルトルドゥルーズ、カント、マルクスドゥルーズユング、金融、企業価値、資料の中で、そのミクロの世界には、そんなに理解する事なく、茫漠・漠然と憑かれるように読んできた。しかし、最近、『フロー体験 喜びの現象学』、『アカウンタビリティから経営倫理へ』などを読みながら、そうそう、上記の著述には同じく至としても、ちがったアプローチがあることを実感させられた。アカンタでは、デリダ理解への通路が開かれている。これまでの理解は業界内サークルを通じての理解だったのだ。

加えて、変な読書の領域への自己抑制があったと思う、とりわけ、小説に対する自己抑制だ。それは小説的でない職業の中で、読む物を抑制しようとした事にあるのだが。ようやく、この抑制は摩天楼の塵の中で、バランスを取り始めるようになったのであるが。

ソーシャルメディアの生態系』は、ネットワーク時代の、人のコミュニケーションを細胞や脳にたとえるあり方が面白い、スピノザの『エチカ』やドゥルーズガタリの『アンチ・オイデップス』はむづかしく、共有するのに時間がかかるが、『ソーシャルメディアの生態系』は、同じ事を言ってるような気がする。ネットワークが実現する自律性と分散は、スピノザの共通概念の考え方、とりわけジル・ドゥルーズが『スピノザ』の中で言っていることと同じであるのじゃないかな。

どの本もそうであるが、『ソーシャルメディアの生態系』も、色々な本の引用を通じて外の世界へ拡がっている。ゼダー・ヒルダコの『情報と秩序』への言及もあるからだ。

この本は書店の新刊棚に立てられてあったが、これまで、こうした種類の本は一冊も読んでいなかったように思う。文学や哲学を読まない多くの人たちは、このような本をたくさん読んで来ているのかも知れない。例えば、ドラッガーもそうであろうし、ガルブレイスや、フリードマンだってそうだろう。よほどに、哲学と文学、それと仕事や学業の経済に、どれほど毒されて(?)、自然な読書をしてきてなかったのであろう。

後悔先に立たず。しかし、こうも言える。こうした読書人生だったからこそ、今読むべき本、読書プロジェクトがレイトライフの中で浮かび上がって来たのだと。であれば、感謝をしてもよいというものである。